寺町街道

temple street

寺町街道とは

About

妙典・行徳・南行徳を中心とした行徳エリアでは、戦国時代の頃より塩の生産が行われており、江戸時代には広大な塩田がありました。
幕府は塩や食料を運ぶため江戸と行徳を結ぶ水路を整備。
塩をはじめ人や物資の運搬が盛んになり、成田山詣の流行もあって、水上交通の要所として大層栄えました。

旧江戸川沿いに残る「常夜灯」は道中の航路安全を祈願して成田講中によって寄贈されたもので、当時の面影を今に残しています。

またこのエリアには「戸数千軒・寺百軒」と言う言葉が残る程、歴史的寺院が多く点在します。
旧江戸川に沿っていくつも寺院が建ち並ぶ「寺町街道」や徳川家康が鷹狩に行く時に通った「権現道」などがあり、歴史を感じさせる散策路になっています。

歴史的街並みの散歩道マップ

※ 実際はMAP1の下にMAP2が続きます。
※ クリックすると地図が拡大します。マップ下の「拡大地図をみる」ボタンから、さらに拡大した地図をご確認いただけます。(PDF)

MAP1

MAP2

見どころ紹介

笹屋うどんと中山こんにゃく

行徳の名物に「笹屋うどん」「中山こんにゃく」がありました。

 

中山こんにゃくは、市川市中山にある正中山法華経寺周辺で売られたものです。
正中山法華経寺は日蓮宗大本山の寺院で、鎌倉時代の文応元年に創立された歴史あるお寺です。
行徳は中山こんにゃくの製造元がある街として有名でした。

現在の行徳1丁目から街道筋にかけて「中山こんにゃく処」の看板を軒並に出して製造していたそうです。

 

笹屋うどんは、現在でも江戸時代の安政元年(1854)に建てられたという店が残っています。
笹屋うどんは「快晴の時をえらんで干し、味はすばらしくよく、実に長くてほめ賞すること限りなし」とまで宣伝されました。

「音のない滝は笹屋の門にあり」

「さあ船がでますとうどんやへ知らせ」

「行徳を下る小舟に干しうどん」

といった川柳も残されてます。
当時の旅人が船を待つ間に笹屋でひと休みし、土産に干しうどんを持ち帰る姿が生き生きと感じられますね。

 

笹屋が繁盛した時代を偲ばせているものが今も残されています。

一つ目は屏風。
平安・鎌倉時代、源頼朝が笹屋に立ち寄ってうどんを食べた話が伝わっており、この時の様子が描かれています。

二つ目は看板。
大田南畝が書いたといわれているケヤキの大看板が残されています。
大田南畝(1749~1823)は江戸時代活躍した狂歌師・戯作者で、蜀山人とも呼ばれています。

 

これらの屏風と看板は歴史博物館に展示されています。(「市川散歩 No.4 行徳」より)

田中邸

本行徳3丁目、行徳街道沿いにある田中邸は明治10年(1877年)築の木造・瓦・2建て。

150年近い歴史があります。

田中邸を建てたのは田中栄次郎さん(安政5年=1858年生まれ)。

栄次郎さんは行徳地区に塩田を持つ塩場師(ショバシ)で、行徳町公選の初代町長でした。

田中家は350年以上続く旧家で、田中家と行徳地区の歴史の深みを感じさせます。

田中邸の玄関は昔ながらの格子戸作りに土間のタタキと古き時代の生活様式が残っています。

軒先には芭蕉の石碑が立っていて一見の価値あり。

 

行徳街道沿いには田中邸のほか、古い商家が点在していますので街歩きにおすすめです。

常夜灯

行徳は、江戸への物資の積出し所として、また成田山参詣の出発点として、大変繁栄していました。
常夜燈は、成田山参拝の講中(信者グループ)が航路の安全祈願のため1812年(文化9年)船着場に建てたもので、高さ4.5メートル当時の行徳水運繁栄の面影を伝える唯一の史跡です。
平成11年12月、行徳郷土文化懇話会の働きかけで、関東大震災以来初めて灯火されました。

[関連リンク] 文化財(市指定)-常夜灯

権現みち寺めぐり

1. 照徳山 本久寺(日蓮宗)

[所在地] 本行徳24-18 [TEL] 047-357-2642
法華経寺の末寺で、元亀3年(1572)に中山法華経寺第13世瑞雲院日暁上人の弟子、本乗院日能上人によって開山されました。
一塔両尊(題目塔と釈迦・多宝如来)を本尊として祀っています。
日蓮上人の木像は、身延山第11世法主行学院日朝上人(明応9年没)の作の日蓮宗にとっても貴重な宝物で、眼病守護日蓮大菩薩として言い伝えられています。
境内は、参道や路石を除いて芝が植えられ、樹木も多く自然と調和した人を引き入れる魅力をもっているお寺です。

2. 正讃寺(日蓮宗)

[所在地] 本行徳23-29 [TEL] 047-357-3444
日乗上人が天正3年(1575)に創建した寺院です。
釈迦如来を本尊とする弘法寺の末寺で、山号は法順山といいます。境内も本堂も小じんまりとしており、訪れる人々にほっとした安心感を与えてくれる雰囲気をもっています。
本堂の前には、大蛇のお告げで地中から掘り出された石仏があります。

3. 飯澤山 浄閑寺(浄土宗)

[所在地] 本行徳23-34 [TEL] 047-357-1324
港区芝の増上寺の末寺で、寛永3年(1626)に鎮誉上人によって創立されました。
最初は草庵に等しかったものを代官により、七堂を備える立派な寺院にしたとされます。
当時は近くの内匠堀から直接船で入れる池が有名な寺でした。
本尊は阿弥陀仏如来で、山門入り口脇には「南無阿弥陀仏」と六面に刻み、その下にそれぞれ「地獄・飢餓・畜生・修羅・人道・天道」と六道を彫った高さ2メートルほどの名号石・六面塔がそびえ、半肉彫りの六地蔵が並んでいます。
これらは、明暦の大火の供養のために建立されました。
他に、慶安3年(1650)の萬霊塔、慶安4年の延命地蔵が立ち並んでいます。

4. 妙覚寺(日蓮宗)

[所在地] 本行徳15-20 [TEL] 047-357-3344
天正元年(1573)日栄上人が開山した寺院で、日蓮上人の像を本尊して祀っている法華経寺の末寺です。
瓦葺きの本堂はまだ新しく、植え込みにも手入れが行き届いています。
房総で唯一のキリシタン灯籠があります。

5. 仏性山 法善寺(浄土真宗本願寺派)

[所在地] 本塩1-25 [TEL] 047-357-2943
慶長5年(1600)宗玄和尚の開基です。
宗玄は河本弥左衛門といって関西の人でした。
行徳にきた弥左衛門は海岸や荒地を開拓し、塩田をつくって塩焼の製法を里人に教えました。
法善寺が行徳塩の発祥地として「塩場寺(しょばでら)」と呼ばれるのはこのことからです。
本堂の前には芭蕉の「うたごふな潮の華も浦の春」の句を刻んだ「潮塚」と呼ばれる句碑があります。
これは芭蕉の百回忌を記念して行徳の俳人戸田麦丈などによって寛政9年(1797)に建てられたものです。
平成12年の街回遊展では、西郷隆盛の漢詩掛軸・山岡鉄舟の六曲一双の屏風・天田愚庵の漢詩掛軸などが特別公開されました。

6. 長松寺(臨済宗大徳寺派)

[所在地] 本行徳8-5 [TEL] 047-357-2241
山号を塩場山(しょばさん)といいます。
表札には「塩場山長松禅寺」とあり、禅宗馬橋万満寺の末寺で、天文年間に開山されました。
小さな山門をくぐって境内に入ると、本堂のそばに六面の六地蔵の石柱が建てられています。
これは、山門が鬼門にあたっているため、正面に六地蔵を建てて厄除けにしています。
「三界萬霊」塔に薬師寺如来像が建ち、山号が塩場山というように、この辺は塩造りに関連した土地であり、かつて塩釜明神が祀られてありました。

7. 海厳山 徳願寺(浄土宗)

[所在地] 本行徳5-22 [TEL] 047-357-2372
徳願寺はもと埼玉県鴻巣市にある勝願寺の末寺で、普光院と呼んだ草庵でしたが、徳川家康の帰依によって、徳川の徳と勝願寺の願をとって「徳願寺」と名付け、慶長15年(1610)円誉不残上人を開山として創設されたと伝えています。
本尊の阿弥陀如来像は、北条政子の依頼によって仏師運慶が彫ったものと伝え、当山の2世忠山上人が、江戸城三の丸に安置されていたものを、当寺の本尊として移したものといいます。
そして、三代将軍家光からは本尊供養料として十石の朱印が与えられています。

本寺の山門と鐘楼は共に安永4年(1775)の建造で、山門の仁王像や大黒天像などは明治維新の際、葛飾八幡宮の別当寺であった法漸寺から移したものです。
また、当寺には文化4年(1807)江戸深川の永代橋墜落による溺死者の供養塔や、宮本武蔵の遺品を納めたという石地蔵などがあります。
さらに宮本武蔵筆と伝える書画、円山応挙筆と伝える幽霊画などが寺宝として伝えられています。
明治4年印旛県庁が一時本寺に置かれたことがあり、明治6年には行徳小学校が本寺を仮校舎として設立されました。

[関連リンク] 文化財(市指定)-徳願寺経蔵

8. 妙栄山 妙好寺(日蓮宗)

[所在地] 妙典1-11-10 [TEL] 047-357-3304
永禄8年(1565)篠田雅楽助清久の外護によって、中山法華経寺11世日典上人の弟子日宣法印を開山に迎え創建しました。
篠田家は千葉氏の家臣で永禄7年の国府台合戦には小田原北条氏に味方したので、その恩賞としてこの妙典の地が与えられたと伝えられます。
妙典の地名は、法華経の経典が日蓮の唱えた「南無妙法蓮華経」のごとく妙なる経典であるというところからついた地名です。
また船橋市にある法典はもと妙典の人々によって開発された所であるため、妙典と同じく法華経に基づく妙なる法典からつけられた地名です。
宝暦11年(1761)日秀上人のとき山門が造営されました。
この山門は和様四足門として市内に残る江戸期の貴重な建造物の1つです(市の指定文化財)。
隣接する八幡神社本殿の彫刻もまた優れたものです。
その他、山門の前にある供養塔は、安政の大地震のもので山門を入り左に妙田地蔵尊・右に観音堂があり、「ごんたくさん」伝説の奥の院があります。

9. 妙応寺

[所在地] 本行徳2-18 [TEL] 047-357-4834
天正元年(1573)開山した寺院であり、鬼子母神などを祀っている法華経寺の末寺です。
七福神のユーモラスな石仏が出迎えてくれます。

10. 徳蔵寺

[所在地] 関ケ島8-10 [TEL] 047-357-1460